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2011年3月18日 (金)

東北関東"大震災"・・・?

自分自身、あれほどの地震を体感したのは初めてでした。
京急線新大津駅で久里浜工場を出場した6061-を撮影しようと待機中、偶然電話していた時でした。誰も柵に触っていないのに柵が揺れ、何かおかしいなと思っていると相手方が急に"地震だ"と。
そしてホームが揺れ、架線も揺れ、信号は消え、辺り一帯は停電に・・・

あの日から一週間、それを忘れない為にもこの記事を書きます。
続きは下の"続きを読む"に伏せてありますので、読みたい方のみ読んで下されば幸いです。
最後になりましたが、この東北関東大震災で被害に遭われた地域の一日も早い復興を願うと共に、亡くなられた方々に対しお祈りを申し上げます。

3月11日、金曜日。
天気は朝からスカッと晴れ、久々の雲一つない快晴でした。
朝9時からは花粉症云々で耳鼻科に行く予定だったので、その前に先日のリベンジを掛けるべく大泉学園へ。もっとも、レンズを忘れるというドアホなことをしたので動画だけになりましたが・・・^^;





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通勤準急・通勤急行共にいつもの287F+1309F/271F+1303Fのコンビが充当され、"いつもの朝"が始まっていました。

ちゃっちゃと耳鼻科に行ってから一旦帰宅し、身支度を済ませて昼食、そして京急へ。
僅かなタイミングで快速渋谷行きに乗れず、運が悪いなと思いつつ後続の新木場行きで池袋、そこから湘南新宿ラインで品川、2165-で運行された1200A快特で新大津。あっという間に到着。大体1時間30分ってところでしょうか。
今日の目的は6061-こと"KEIKYU BLUE SKY TRAIN"の更新出場試運転。今までの情報収集によって今日か月曜にあることは確信していたので、やっと運が向いた、と言ったところでしょうか。ずっと楽しみにしていた一日でありました。
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59SH快特 1731-
バリ順^^ 駅先の割には構図がそれなり良いので好きです、ここ。
駅間にしようか迷いましたが、ちょっと金欠なもんでして・・・
久々に京急らしい赤色を見た気がしますね。やっぱり1500はかっこええのう!

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5A快特 2109- "世界へ。京急で。"ラッピング編成
6061-が試運転で上ったことを確認して一気にテンションアップ。
早く撮りたいとの一心で構図をカッツリ決めていきました。
と言うかこのラッピング、まだやってたんですね・・・

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67SH快特 6031-
更新車の特徴であるこの顔も随分見慣れてきました。
急行灯の電球化だけだったらまだそこまで違和感がないでしょうが、ワイパーカバーも交換してますからね・・・
この600形の中でも最も注目されていた6061-の更新出場試運転。それが撮れるとは!

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7A快特 2117-
これが行けば、6061-の通過まで残り1本。
下り金沢八景発車の情報も入り一安心。まさかこの列車が今日、新大津を発着する最後の列車とも知らずに・・・

14時41分。電話が鳴り、なんだこんな時にと思っていればお知り合い。
とりあえず少し確保してある場所から離れ、ホームの柵に少し寄っ掛かって暫く話していました。
話すこと約5分。柵が少し揺れている・・・誰かが揺らしているのだろうと思って左右を見てみると誰も触っていない。やたらと細かいことばかり気にする自分なので、気のせいだろうと思って電話していると、相手方が急に"地震だ!やばい、これ大きい"と。
先日宮城県沖を震源とする小規模な地震はあったので、その余震だろう、と考えていたのも束の間。ホームがメキメキと音を出しながら揺れ、電線や架線が大きくゆらゆらと揺れたのです。
揺れが一時的に収まり、気がついてみれば上り線の出発信号機が消えていました。しかしこれも京急のこと。あっという間に運転再開してくれるだろうと考えていました。
しかし、情報が入るにつれてそんなことでは済まなされない気がして、未練は残るものの約40分ほどしてホーム撤収し、上りホームにある駅舎の近くへ。もはや帰宅することが第一の目標となりました。

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しかし駅舎に着いて呆然としたのは言うまでもありません。電気から改札、何から何まで点いていない。完全にこの一帯は停電していたのです。
16時30分には携帯の電池も尽き、連絡手段も無くなりました。安全を考え、ここからは偶然にもホームにいらっしゃった同業の方1名、駅に居合わせた方3名と行動を共にすることにしました。
時間はゆっくりと過ぎ、雨が降りだした17時30分頃、駅員さんから復旧は2~3時間後になるとの情報があり、暫く待機することに。
日は沈み、皆さんで跨線橋の端っこでうずくまっているいた時。19時10分頃だったでしょうか、駅員さんから"今日はもう動かないそうです。大変申し訳ないんですけどもお客様を駅から誘導するようにとのことなので・・・はい。"との通達が・・・

この話を聞いた時、本当にどうしようと感じました。一番近い親類でも川崎。ここから40km以上・・・
しかし、ここで泣き寝入りしても仕方のない話。19時18分、とりあえず先程の方々と国道16号線をひたすら北上していくことにしました。

19時55分、公衆電話から約5時間ぶりに電話。現在地と状況の報告と、親からは川崎及び恵比寿が受け入れ体制になっている旨を聞きました。
そこからもひたすら歩き、新大津を出て2時間40分が過ぎ、そろそろ追浜を過ぎようとしていた時でした。
空き地から見えた線路と青い車体。新大津で狙っていた6061-が、ここ追浜4号踏切付近に止まっていたのです。
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KC39 6061- "KEIKYU BLUE SKY TRAIN"
被災したのは走行中。
後から聞いた話によれば緊急停車した後に抑止したまま、結果的に乗務員も列車から離れ、留置となってしまったそうです。
しかし・・・カッコいいですなぁ。これが見れただけ、まだ運が良いのでしょう。

その後もひたすら歩くに歩きました。八景・文庫・能見台・京急富岡と歩くうち、やはり疲れてきたのが現実。なるべく表に出さないようにはしていましたが、表に出たのか見透かされたのか、ここまで一緒に居合わせた方のうちの一人が(家が京急富岡で比較的近いとのこと)お車を出し、上大岡まで送って下さることになりました。
京急富岡に着いたのは23時30分頃だったでしょうか、それからお車に乗せて頂いたのは同45分頃だったと思います。

車のカーナビがTVになっていたので少し見てみると、地震は想像をはるかに超える被害をもたらしていました。夜に煌々と燃え続ける気仙沼の火災、高さ7mに及んだという津波、それによって行方不明になった列車など・・・特に火災については、とても日本で起きているとは思えない光景でした。

上大岡駅前に到着したのは日付が変わって0時45分頃。
お車で送って下さった方とはここで別れ(本当にありがとうございました)、ここからは同業の方と2人での行動。少々不安が付きまといますが、とりあえず家に電話。
京急の改札に向かうと、帰宅困難者の為に"港南スポーツセンター"が一時待機場所として用意されているとのこと。これ以上夜通しで歩いて川崎に向かう訳にもいかず、素直に向かうことに。

なんだかんだで到着した時には1時を回っていました。
最初は毛布が無かったものの、10分もするとボランティアの方が持ってきて下さいました。マットレスが幸い敷いてあったので、このまま今晩はここで一泊。まさか東京時刻表が枕になるとは思ってもいませんでしたがね。

起きたのは朝4時25分頃の放送。京急は動くとのことで、出発準備。このまま川崎に一旦向かいます。
・・・とは言ったものの、JRと西武さえ動いていれば家に帰れるかもしれないので調べてみることに。
調べてみるとJRは未だに動いていないということ。頭痛がしていたこともあったのか、すっかり京急→品川→JRというルートしか思い浮かばなかったのですが、スポーツセンターの方が京急→横浜→東急→渋谷→副都心線というルートを提案。
このことを家に電話で伝えると、"このまま家に直行する"ことでまとまり、5時5分に再出発。絶対に帰ります!

上大岡からは遅れている401A快特(2109-)に乗車。やはり久里浜線方面からの初電であっただけに少々混んでいました。横浜で同業の方とも別れ、いよいよ単独行動となりました。
一気に階段を下って東横線に。次発案内が無くて少々不安だったものの、さほど混むことも待つことも無く05運行(9005F)で渋谷へ。途中大倉山発車時と多摩川到着前で緊急地震速報を受信、非常制動による緊急停車がありましたが特に揺れず、やっとの思いで東京都に。
渋谷からは副都心線04S(7119F)で池袋へ。生憎(と言うかいつもの如く)東武・西武への直通運転はやっていなかったので乗り換え。車中は流石に疲れていたのか、頭痛が続いていたので爆睡・・・起きたら既に池袋、一斉に皆さん降りていました^^;
そして地上へ。時間的にはいつもの朝の時間。
長くて辛い孤独路のラストレグ、1003レ快速急行(20158F)。流石にいつもの100km/h近くまでは飛ばしていませんでしたが、だいたい75km/hと言ったところでしょうか。大きなダイヤ乱れも無く列車を走らせていました。

家に着いたのは朝の8時。
ここまでなってしまったのは初めての出来事。あまりに心配で寝られなかったという母と、4時間近く歩いた末にやっと自宅に帰れて緊張が一気に解けた私。"たったこんなことで大袈裟な奴だな"と思う方もいらっしゃるとは思いますが、私もか弱い心、玄関で互いに泣き合いました。
(ちょっとだけ実感を高めるためにハトプリのBGM"こころの種、生まれるです"をipodで流しておいたのは秘密^^;)
帰宅して携帯電話を充電、電源を入れてみると、そこには数々の安否を心配するメールや電話の着信履歴が。中でも阪神・淡路大震災で被災している祖母の妹(大叔母)の声は普通ではありませんでした。

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私が今回の震災で"被災した"と言えるのは精々この程度です(被災とも言えないかもしれません)が、実際に東北地方にいらっしゃった方々は更に津波の恐怖や火災、またそれによってご自宅が流されるなど、想像を絶するものがあったことと思います。これから復興の道へと進んで行くにつれ、辛いことも多々あることでしょう。ですが、聖書には次のような言葉があります。
"いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。"(新約聖書 テサロニケの信徒への手紙Ⅰ 5章16-18節)
実際に私たち人間の人生は、喜ぶことや祈ること、そして感謝することはそう多くないと思います。決して良いことばかりではありません。辛いことも悲しいこともたくさんあると思います。(これはあくまでも私の考えですが、)しかしだからこそ、例え今、どんな状況に置かれようとも私たち自身が喜び、祈り、感謝する生活を目指していくことこそが重要なのだと私は思います。何も分かっていない私が言うのもおかしい話ですが、決して挫折せず、復興に向けて頑張って下さい!

当たり前ののように繰り返されている"日常の生活"がどんなに幸せなことか・・・今回の震災で学んだ重要なものの一つだと思いました。


最後になりましたが、この記事を見ているかは分かりません、港南スポーツセンターでお世話して下さった方々、新大津駅で案内して下さった数名の駅員の方、居合わせた4名の方、特にお車で京急富岡駅から上大岡駅まで乗せて下さったお父様には心より御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

それでは、失礼します。

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